1800年代初頭のハイチ革命以降、100年以上にわたり、ジャマイカでのコーヒー生産は停滞期を迎えました。

現在につながるブルーマウンテンの礎は、1943年に、イギリス人農業技師であるA.J.ウェイクフィールド氏がジャマイカを訪れ、コーヒー産業の復興計画を作成したところから始まります。なぜ彼がこの時期にこのような行動に出たのかについては詳しい資料が残っていないのですが、その5年後の1948年、今もジャマイカのコーヒー産業を取りまとめるジャマイカコーヒー産業公社(Coffee Industry Board = 通称CIB)が設立。コーヒー産業法という規制を少しずつ固めていき、いわゆる「ブルーマウンテン」の名称を冠することのできるコーヒーの生産地域を明確に設定し、かつ、その精選や輸出に携わることが出来る業者もすべて登録制にして管理。規制を行うことで、ジャマイカから輸出されるブルーマウンテンコーヒーの品質やブランド力の向上に全力を注ぎました。

認可をもっていない業者がブルーマウンテンを輸出することは許されず、また、輸出されるコーヒーはすべてCIBが国としての威信をかけて品質管理を行い、ジャマイカのコーヒーの高品質さが少しずつ世間にも知れ渡り始めます。

ブルーマウンテンと呼ばれる地域は、山頂の標高こそ2,000mを超えますが、コーヒーがつくられるのは1,400m程度が上限。周りが海に囲まれた島国、かつカリブの非常に高温という環境下、島の上空付近には蒸発した水分がたまりやすく、どんなに街中が晴れている日であっても、ブルーマウンテンの山にのぼると、常にうっそうとした霧や、雲が立ち込めます。これが俗にいうブルーマウンテンミストと呼ばれるもので、比較的標高が低くても、このミストが自然のシェードの役割を果たし、山肌が高温にさらされるのを軽減します。シェードツリーならぬ、シェードミスト。これこそが、ブルーマウンテンをブルーマウンテン足らしめる、世界でも稀有なテロワールです。

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生産地域が明確に指定されているいう限定性。そこにさらに、土地柄何年かに一度必ず大きなハリケーンがやってきて生産を妨げるため、生産・供給が一層希少化するという地域特性。この二つの要素が、「高品質でありながら、なかなか口にすることが出来ないコーヒー」というイメージを徐々に作り上げていきます。そのため、ようやく手にすることのできた貴重なブルーマウンテンコーヒーは、まず真っ先に、ウェイクフィールド氏の故郷であるイギリスの王室に献上されたと言われます。これがまさに、「英国王室ご用達」という有名なフレーズにつながります。

ところで、日本に最初にジャマイカのコーヒーが輸入されたのは、戦前のこと。そのころはまだほんの見本程度のもので、コーヒー産業法ができる以前の話だったため、これは「ブルーマウンテン」そのものではありませんでした。

戦後にCIBが設立され、徐々にブルーマウンテンコーヒーの生産が軌道に乗り始めた1953年が、日本のブルーマウンテン元年とされています。実に、今から64年も前の話。戦後の物資不足の中、まずコーヒーそのものが贅沢品であった時代に、「中でも英国王室が好む、めったに口にできない、とてつもなく高価な、ブルーマウンテンというコーヒーがあるらしい」という噂は少しずつ囁かれ始め、著名人が集まる喫茶店で、選ばれた人のみが口にできるコーヒーとなっていきました。このステータス感が、ブルーマウンテンをキングオブコーヒーと言わしめた背景と言えます。

コーヒーの中にまだコモディティか、プレミアムか、という二者択一の選択肢しかない時代がそれから40数年続き、ジャマイカのブルーマウンテンは、そのプレミアムを牽引する、重要な存在でした。

2000年ごろより、徐々にサステイナブルやスペシャルティという新たなカテゴリが台頭し始め、今でこそ、質の高いコーヒーの選択肢は無数に広がっています。そんな中、ブルーマウンテンに対して「値段が高価なだけ、味はそれほど突出したものがない」という評価を耳にすることも少なくありません。しかし、60年もの間、今でも味わうことのできるあの品質をずっと守り続けてきたという事実は決して無視することが出来ません。一般品の何倍もの値段がつけられるスペシャルなものがあるという概念も、そもそも、ブルーマウンテンのような高価なコーヒーが先駆者として存在していたからこそ、受け入れらるものではないかとすら、思えます。そういう意味で、ブルーマウンテンの長い歴史は、コーヒー産業の中での忘れえぬ大きな功績と言えます。

当社がコーヒーを取り扱い続ける限り、その歴史と功績をわずれず、ブルーマウンテンを提供し続けていきたいと思います。

(兼松・江藤)