ジャマイカ・ブルーマウンテンを担当している江藤です。先日はジャマイカ出張報告をコラムとしてお届けしましたが、今回は、ジャマイカという国そのものの歴史についてお伝えしたいと思います。

現地の人から聞いた話や手元にある文献、またインターネット記事などをもとに記載していますので、ジャマイカにより詳しい方々からすると、ご存じの事実と食い違っている箇所があるかもしれませんが、その点はどうかご容赦くださいませ。

*ジャマイカの発見

カリブ海に浮かぶジャマイカは、1494年にかの有名な航海士であるクリストファー・コロンブスによって発見されました。コロンブスはスペイン王室の支援を受けて大西洋航路の開拓に出たために、1509年、ジャマイカは当初スペイン領となります。ジャマイカを発見したコロンブスは、後にブルーマウンテン山脈と呼ばれるようになる山々を見た当初、天にも届かんばかりの雄大なたたずまいに深く感嘆の声をもらしたとされています。

その後、1655年にはイギリスからの侵略を受け、1670年にジャマイカは正式にイギリス領となります。ここから、ジャマイカとイギリスの歴史が始まります。

ジャマイカという国名は、先住民族・アラワクインディアンの言葉で「森と水の土地」を意味するXaymacaという言葉に由来すると言われており、スペイン人によってJamaicaと表記され、スペイン語では当初ハマイカと発音され、イギリス統治下において英語読みのジャマイカとなりました。

*コーヒーの伝来とその歴史

 コーヒーの発祥はエチオピア説、イエメン説と有名な2つの逸話があるのはご存知かと思いますが、発祥がどちらの国であれ、その後どのように世界各国に散らばっていったかは、ほぼ定説となっております。エチオピアあるいはイエメンから1600年代にインド、インドネシアに伝わったコーヒーは、1706年にインドネシア宗主国であったオランダへと移り、そこからヨーロッパ諸国へと流通され始めます。

 

ほどなくして、フランス人は当時の統治下国であったフランス領マルチニークへとコーヒーを持ち込み、そこから、1728年にジャマイカへと到達します。マルチニーク島は、フランスの海外県のひとつという位置づけですが、実際にこの島で今でもコーヒーが商業的に生産されているかどうかは、少なくとも現存するコーヒーの生産統計(International Coffee Organization = ICO)上からは確認されておりません。となると、マルチニークから初期段階でコーヒーが伝わったジャマイカは、今でも継続的にコーヒーが調達できる国としては、カリブ中南米地域の中で最初の生産国といっても過言ではないかもしれません。このような背景も、ジャマイカのコーヒーが特別であるとされる要因のひとつと考えられます。

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(ジャマイカへのコーヒーの伝来、出典・ジャマイカコーヒー輸入協議会)

 しかし、最初の伝来から300年近くが経過しているとはいえ、ジャマイカのコーヒー生産は当時から発展していたわけではありませんでした。当初は、入植したイギリス人貴族がブルーマウンテンの山間部に邸宅をつくり、そこを中心にコーヒープランテーションを開墾し、アフリカから連れてこられた黒人奴隷を使って栽培していました。いまでもブルーマウンテンの生産地に入ると、ポツンと、当時の邸宅がそのまま残っていたりします。

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(ブルーマウンテンエリアの一画であるセント・トーマス地区に残る古い邸宅)

1791年~1804年の間に起こったハイチ革命により、ジャマイカに逃げ込んだ難民によりコーヒーの生産は一時期盛り上がりを見せました。しかし、そもそもハイチ革命は、ハイチにおける黒人奴隷の反乱運動。その機運がジャマイカにも伝わると、拡大に向けて進みつつあったコーヒー生産も、黒人労働者の解放に伴い、逆にすたれる方向へと向かいました。

では、そんな歴史的背景から、ジャマイカのブルーマウンテン・コーヒーはどうやって今の地位を確立するに至ったのか。この続きは、次週にお伝え致します。

(兼松・江藤)